西宮神社
全国3,500社の『えびす神社』総本社がココ!!
まずは西宮市社家町1−17にある西宮神社、通称「えびす神社」から参りましょう。阪神本線のにしのみや駅からすぐのところにあります。ここは全国に3,500社もある『えびす神社』の総本社で、「商売繁盛の神」として日本で最も有名なところです。毎年1月10日に行われる10日戎(とおかえびす)は、必ずテレビのニュースでも取り上げられるので、きっとあなたも見たことがあるはずです。ちなみに私comoは、この例祭には行ったことがありません。人混みがあまり好きではないというだけでなく、やはり参拝を神様との対話と考えた時、出来るだけ静かな時に落ち着いた気持ちで臨みたいというふうに思うからです。
『えびす様』の正体は・・・?
この『えびす様』の中身が神社によって異なる、ということをご存知ですか?大きく分けると、この西宮神社を中心とした『蛭子(ひるこ)の神』をえびす様とするところと、もうひとつは島根県の美保神社を中心とした『事代主(ことしろぬし)の神』をえびす様とするところです。両社とも、「自分のところこそえびす信仰の元祖だ」と主張しますが、決してケンカにはなりません。ハッキリしないと気持ちが悪いというだけのことで、どちらもありがたい神様には違いないので、あえて白黒着ける必要が全くないのです。
ちなみにこれは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などといった『一神教』という考え方には一切通用しません。唯一絶対の神様を信じるこれらの宗教にとって、自分のところの神様以外の神様はすべてが『ニセモノ』となってしまうのです。これはケンカどころでは収まりません。いつまで経っても地球上から戦争がなくならないのは何故か?あなたもそんな疑問を持ったことがあるでしょう。実はその最大の理由が、この、それぞれの『宗教観』のぶつかり合いにあるのです。
動物霊にご用心
さて、そんな『えびす様』には、あなたもご存知の通り「商売繁盛」に大変なご利益があります。もうひとつ、商売繁盛をご利益とする超有名なところに『おいなり様』があるかと思いますが、こちらは少し注意が必要です。というのも、もともと『稲荷』とは、その名の通り「稲を荷う」、つまり五穀豊穣・豊作祈願こそが専門だったはずなのです。それをいつの頃からか人間が勝手に、「お金儲けの神様」という風に仕立て上げてしまいました。そこへ、ほんの小銭を投げ入れて「一億円儲かりますように」などと欲望に任せたお祈りをする人間がどんどん詰め掛けるのです。これでは元々いたはずの尊い神様が、愛想を尽かして離れていってしまいます。
それでも、「お稲荷さんにお参りしたらやっぱりお金が儲かった」という話はいまだ後を絶ちません。これはどういうことかといえば、からっぽになった神社に「しめた」とばかりに住み着いた「邪霊」や「動物霊」が、人間を驚かせて遊んでいるということなのです。当然最後に待つのは「不幸な結末」でしかないということは言うまでもありません。運良くあなたが最後まで何の不自由もなく豊かに生きれたとしても、そのツケは必ずあなたの家族、子や孫が背負わされることになるのです。
これは稲荷神社だけに限ったことではありません。安易な願い事をして、それがなんの努力もなく叶ってしまった時などは、ちょっと心配したほうがいいくらいです。
「うまい話には気をつけろ」
・・・要は、この世と全く同じなのです。
(※誤解のないように言っておきますが、「お稲荷さん」自体は、五穀豊穣に大変ご利益のある立派な神社です。問題はあくまで、「祈る人間の側」にあるのです)
『福の神』は「重度身体障害者」!?
ここ西宮神社の『えびす様』の中身が『蛭子(ひるこ)の神』であるということは始めにも言いました。この『蛭子の神』とは、『国産み/神産み』で知られる夫婦の神『イザナギ・イザナミ』が、初めての子作りに挑戦した際、ある理由から、骨のないグニャグニャの状態で生まれてしまった、いわば「障害児」です。この神様を、「日本一の福の神」として祀るのがこの「日本」という国なのです。いいですか!ここは是非、アンダーラインを引いて頭に叩き込み、知らない人にどんどん紹介していただきたい素晴らしい「日本人ならではの価値観」なのです。
今は亡きcomoの師匠はいいました。
「金持ちが続く家には、必ず身体障害者が生まれる。しかし家族・親族はその子に感謝の思いで接し、大事に育てるのだ。それはつまり、一族の因縁をその子が一身に引き受けてくれている、という考えが自然に出来るからである。」
師匠は、「神話」は単なる物語ではなく、その国の「ものの考え方」が見事にあらわれているものなのだ、とも言われておりました。
本来の『日本人』にはこんなにも素晴らしい価値観があったのです。そしてその素晴らしい『日本人』の血液は、紛れもなくあなたの体の中に流れています。
さあここらで、戦後、欧米から半ば強引に輸入された「自分さえ良ければそれでいい」という『個人主義』から脱出しましょう。そうすることで、きっとあなた自身、救われた思いがすることでしょう。
話が長くなりました。ではcomoと祈りましょう。
「蛭子の神様、日々のお守り心より感謝申し上げます。現代の日本人は金儲けや見た目だけのカッコよさだけを求め、本当に苦労し、犠牲になっているものに感謝する心すら忘れております。どうか本当に必要な人にだけ、必要なご加護をお与えください。今後も人知れず因縁を背負い一生懸命生きている者に、格別なるお導きを重ねてお願いいたします。」
あえてお金儲けのお願いはせず、西宮神社を後にしました。
湊川(みなとがわ)神社
「楠正成」という武将をご存知ですか?
さあ次は湊川神社です。山陽本線のこうべ駅からすぐのところにあります。
この神社のご祭神は『楠正成(くすのきまさしげ)』という「武将」です。強い人、立派な人、怖い人、なんでも「神様」として
祀ってしまうのが日本の神道なのですね。
この楠正成という武将は、正に『軍神・鬼神』と言われるほどに強く、自軍の何十倍もいる敵の軍を事も無げに打ち破り、幾多の戦において、奇跡的な勝利をおさめました。その戦法は、常識を覆した上に、神懸り的であったと言われています。
それでいて正成は、全くの無欲の人であり、自分の地位・名誉・財産には全く無関心でした。ただ、仕える主(後醍醐天皇)へ対する「忠義」のみ、つまり、国の平和を願う一心で戦ったというのです。それから500年以上の時を経た明治時代に、正成の無欲の忠義に感銘された明治天皇によってこの神社は創建されました。
力なき正義は『無力』
「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である」
この言葉を聞いて、あなたはどう感じますか?これはわが師匠の残した名言の一つです。現在の日本などまさに「力なき正義」そのものといえるでしょう。平和主義は大いに結構、私だって戦争なんかしたいとは、これっぽっちも思いません。しかし日本人には、「武力放棄」をすることで平和が訪れるものと本気で考えている人があまりに多いようで、これはとても世間知らずで危険な考え方であると私は感じます。
お寺でも、毘沙門天(びしゃもんてん)や不動明王(ふどうみょうおう)などが「悪は許さんぞ」と、悪人以上の『力』を持って悪を屈服させています。同じ人間といえど、話して理解できない相手には、やはり相手をビビらせるだけの『力』を見せつけることがどうしても必要になるのです。もしもそれだけで相手を屈服させることができたなら、無駄な犠牲を出さなくても済みます。
例えば、「普段はオヤジギャグしか言えず家族には冷たくあしらわれながら、それでも一家をちゃんと養っている」そんな親父と、「やさしくて頭がよくてカッコよくて、でも人に騙されて借金を抱え込んでしまう」そんな親父がいたら、あなたはどちらの子になりたいですか?
「理屈」は結局何の役にも立ちません。やはり、頼れる人の条件として「力」は必要不可欠なのです。今の日本の姿勢が、いかに問題であるか、少しは理解していただけましたでしょうか。
この楠正成は、天下国家を想う一念のみで「鬼」となって闘った、まず一般庶民には真似できない、正真正銘のヒーローです。さあcomoとお参りしましょう。
「これが御前に降りませる楠正成公様、日々のお守りありがとうございます。日本の皇室・国家・国民をお守り下さい。日本は太平洋戦争に負けて以来、アメリカに媚び、最近では中国に媚び、国内では自己の利益しか考えない政治家・官僚によって国は滅ぼされようとしております。どうか正成公の純粋で無欲の智惠と力を、国の将来を憂い得る者にお授け下さい。そして国を売り、自己の利益しか考えない指導者にとびっきりの天罰をお与えください」
鳥居で最後に一礼し、湊川神社を後にしました。
ここで一息ランチタイム
淡路島の自然の恵みをまるかじり
さあここから世界最長の明石海峡大橋を渡り、淡路島に向います。この道路には神戸淡路鳴門自動車道というとても長い正式名称があります。「このセンスのないネーミングは、きっと官僚の仕業だよ」・・・ブツブツいいながら、淡路島に上陸します。・・・いやあ、ここは「島」というイメージで来るとちょっとビックリするくらい、広々としたところです。もちろん海に囲まれているので
山育ちのcomoには珍しい風景ばかりでとても興奮します。おっと、『淡路サービスエリア』が見えてきました。ここで昼食にしましょう!
おススメは『明石のタコ飯』です。ぷりぷりのタコが本当に美味い。デザートには『淡路金時のスィ−トポテト』に『和三盆のマドレーヌ』が絶品です!あっ・・・まだこの後、お参りがあるのを忘れていました。デザートは帰りに食べることにしましょうか(泣)。参拝前の食事で贅沢をしてはいけません。
伊弉諾(いざなぎ)神宮
妻には殺されかけるし、息子はグレるし。
津名一宮インターを降りると五分くらいで淡路国一宮、伊弉諾神宮に着きます。大門で一礼し、手水舎を使い、社務所で由緒書をいただきます。玉砂利がきれいに敷かれ、何か心が洗われるようです。ここのご祭神は、神社の名前からもうすぐに分かりますよね、『イザナギ』を祀った神社です。「国産み/神産み」の神話で知られる夫婦の神『イザナギ・イザナミ』の旦那さんの方のことです。
神生みの仕事が終盤にさしかかったころ、妻のイザナミが病気で亡くなってしまいます。愛しい妻をどうしても忘れられないイザナギは、遂に黄泉の国までイザナミを訪ねていくのですが、そこで目にしたのは、全身が腐ってウジのわいた醜い妻の姿でした。一目散に逃げるイザナギと、女に恥を掻かせたなと血相を変えて追いかけるイザナミ、これが日本最初の「夫婦喧嘩」といわれています。命からがら逃げ帰ったイザナギですが、その後も、期待の息子『スサノオ』が暴れるわ、仕事はしないわでホトホト困り果ててしまいます。そんなイザナギが、最後にやっと手に入れた平穏の地こそ、この伊弉諾(いざなぎ)神宮だといわれているのです。
ご祭神/イザナギ(イザナミも?)
ちなみにこのイザナギの隠居先は、滋賀県にある『多賀大社』という説もあります。
それにしても、日本の神様って本当に我々人間とそっくりなんですよ。子育てで悩んだり、夫婦喧嘩してみたり・・・私はこれに、どれほど救われる思いがしたかわかりません。「神は『絶対・完璧』で、人間はその逆で『罪人』である」という『一神教』の教えを信仰していた、当時まだ10代のcomo。その時は、自己嫌悪や自己否定ばかりで、全然楽しくありませんでした。そんなcomoにしてみれば、「神様だって完璧ではない。時に悩み、苦労し、過ちを犯すことだってある」なんて、これほど勇気付けられることはないのです。
また、面白いことにこの神社、初めはイザナギを祀る神社として建てられたはずなのに、いつのまにか奥さんのイザナミまでもが祀られるようになっているのです。「イザナギひとりでは寂しいだろう」という人間の勝手な計らいなのでしょうか。でも喧嘩してるんじゃ・・・。「そんな細かいことはどうだっていいじゃないか」というのが日本人なんですよね(苦笑)。でもなんと、霊能者の人が見ると、ちゃ〜んと2人揃って仲良くお出ましになるということなのです。面白いですね。
ではcomoと一緒にお参りしましょう。
「イザナギ・イザナミの大神様、日本の国生み・神生み、ありがとうございます。いろいろご苦労がお有りになったとお聞きしておりますが、それゆえに我々人間の苦労、悩みをお分かりいただけるのだと感謝の念でいっぱいです。このcomoも若き頃、あわや自殺をする直前で、日本の神様に出会い、その悩みから救っていただきました。残された人生で、少しでも日本の神様のお手伝いをしたいと思っております。どうぞこのcomoをご自由にお使いくださいませ。」
晴れ晴れした気持ちで、伊弉諾神宮をあとにしました。
おのころ島神社
日本の国土誕生の原点がココ!!
さて本日最後のお参りです。再び自動車道に入り、西淡三原インターで降りるとすぐ、目的地のおのころ島神社が見えます。ここの鳥居は日本三大鳥居の一つとされ、朱塗りのとても大きな鳥居が建てられています。覚えていますか?鳥居には神様の使いがおられます。くぐる前には必ず一礼するようにしましょう。手水舎で身を清め、社務所で由緒書をいただいて本殿に向います。ご祭神は先程と同じく『イザナギ・イザナミ』が祀られています。先の伊弉諾神宮を「仕事を終えた後に隠居した所」とするならば、こちらはまさに「仕事をスタートした所」といえるでしょう。「おのころ島」とは、イザナギ・イザナミが沢山の国や神を生み出すために降り立った所なのです。
『おのころ』の哲学。
おのころ。・・・何だか不思議な響きをもった言葉ですよね。これは、自(おの)と転(ころ)、つまり『自転』という意味になります。「自転島」、要するに地球のようなな惑星のことです。
さあここで突然ですが、中学校理科の勉強です!
地球には豊かな生命力で溢れていますが、これは地球が「自転」をしているからなのだといいます。その証拠に「月」は、地球と同じように太陽の周りを回っていても、生命がありませんよね。月は「自転」をしないのです。また、当然な話ですが、地球が「公転(太陽の周りを回ること)」をやめてしまったら、一度に生命は全滅してしまいます。
月は太陽の周りを公転しているが、自転はしていない。だから月には生命がない。しかし、たとえ自転をしていても、公転をしなければ、秩序は一度に乱れ、それぞれが衝突してしまいます。
え、何が言いたいのかって?・・・日本神話の深すぎる哲学がここに眠っていることにに気付けないなんて、嗚呼、情けないっ!
「自転」をすることで生命のエネルギーが生まれ、「公転」することで全体の秩序が保たれる。つまりその両方の絶妙な調和があるからこそ、今の美しい地球が形成されているのです。それが我々の人間社会にもそっくりそのまま当てはめて考えられます。「個人」はきちんとそれぞれの責任ある行動に努め、「全体」では調和を大切にすることで、世界がより良いものになるということです。
ご祭神/イザナギ・イザナミ
ちょっと消化不良な解説になってしまいました。次回は頑張ります(笑)。
さて、さまざまな「国」や「神」を生むことで日本の基礎を築いていったイザナギ・イザナミですが、そもそもこの夫婦神は最初に、「この漂える国を『修理固成』せよ」という命令を受けて、神生み・国生みを始めています。決して、「新しいものを創造しろ」ということではないのですね。もともとの理想形は天界にあるから、それに従って作り直せ、というわけです。このあたりも他国の宗教と異なる大きなポイントです。では、comoと一緒に『イザ』、お参りしましょう。
「イザナギ・イザナミの大神様、日本という国を修理固成する大業、誠に感謝申し上げます。いつの頃からか、自分の責任を果たさずに、すべて人のせい、国のせいにする人がどんどん増えてきてしまいました。
このままでは、自転をやめた月のように命は枯渇し、公転を忘れた惑星のように秩序は乱れ、人間が滅びるのも時間の問題であります。この美しい地球をつくる、という大変な仕事をされたイザナギ・イザナミの大神様。どうか今、再び御二柱の智惠と力をお貸し下さい。comoも微力ながら地球の修理固成のために尽力いたします。」
最後の大鳥居で一礼をしておのころ島神社をあとにします。これで本日全ての参拝を終了しました。感謝感謝です。
洲本温泉へGo!!!
ホテルニューアワジ別亭 淡路夢泉景
さあ、疲れましたよ!(笑)・・・毎回長旅にお付き合いいただき、本当に感謝感激でございます。ごゆっくり、旅の疲れを癒してくださいね。本日オススメの宿は
ホテルニューアワジ別亭 淡路夢泉景
です。洲本市古茂江海岸の絶景の海岸沿いにあり、瀬戸内の海の幸、憧れの日本の宿を満喫することができます。

