居多神社(こたじんじゃ)
大国主のプレイボーイ神話がここにも!
さて、まずは上越市にある居田神社(こたじんじゃ)へ向かいましょう。ここは「越後国一之宮(えちごのくにいちのみや)」という社格を持つ神社です。ご祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)・奴奈川姫命(ぬなかわひめのみこと)、そしてその2人の子といわれる建御名方命(たけみなかたのみこと)という三柱の神様が祀られています。
オオクニヌシといえば、出雲大社(島根県)に祀られ、「大黒様」としても親しまれているあの有名な神様です。その名前の通りオオクニヌシは、国津神(地上界の神)のリーダー的な存在であり、また、大変な「オトコマエ」でもあったようなのです。日本各地を統治していく中で出会った女性と次々に恋愛をし、一説にはなんと800人(!)もの奥さんがいたといわれています。
そして、この越後の地を訪れたオオクニヌシの心を見事に射止めたのが、このヌナカワヒメという美しいお姫様でした。オオクニヌシに「失恋」の2文字は存在しません。ここでも、すぐさまラブレターを送り、なんともう次の日に2人は結婚してしまうのです。そりゃあ「縁結びの神様」と言われるわけですよね。・・・オオクニヌシ、おそるべしです^^。
この夫婦の間に生まれたのが、あの力自慢の「タケミナカタ」という神様です。大きな岩を片手でらくらくと持ち上げる怪力の持ち主ですよね。つまりこの神社には、国津神のスーパースターの親子が祀られているということになります。
えっ、あの親鸞聖人が「神社」へお参り?
もうひとつ、この神社と非常に縁の深いのが、「浄土真宗」の開祖、あの親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。親鸞は今から1000年近く前、つまり鎌倉時代の人物です。親鸞の教えを、多少乱暴ながらも一言で説明するならば、それは、「念仏を唱えりゃ救われる」という発想とでもいいましょうか。でもその発想って、まさに現在の仏教の「パブリックイメージ」そのものではありませんか?それもそのはず、仏教の様々ある宗派の中で、ダントツで日本中に広まったのがこの「浄土真宗」なのです。
しかし、そのように民衆の心を大きく動かす親鸞の存在は、その当時の権力者にとってみれば、脅威以外の何ものでもなかったのでしょう。親鸞は僧侶の資格を剥奪され、そればかりか、京を追放されてしまいます。そうやって追いやられたその先が越後国だったのです。
そして、この居田神社は、越後国にやって来た親鸞が「最初に訪れた神社」として知られています。この神社で親鸞は、
「すえ遠く 法を守らせ 居多の神
弥陀と衆生の あらん限りは」
という句を詠んでいます。
いかがでしょう。これ、実に面白いエピソードだとは思いませんか?だって、仏教の坊さんが神社を訪れて、更には、「阿弥陀様(つまり仏教の神様)を守ってください」ということを「神社(神道)の神様」、つまり「よその神様」に対してお祈りしているのです。
まあ、仏壇と神棚を並べて祀っても何の違和感も感じないというのが日本人なので、これに驚く人はきっと少ないのだろうな、と思います。が、実はこの感覚というのは、決して「世界共通」ではなく、非常に「日本特有」のものなのだということを、まずはご理解下さい。
話を戻しますね。宗教を追究しているわけではない、いわゆる「素人」の一般庶民は別として、親鸞は、言ってみれば「その道のプロ」なのです。つまり、それまで親鸞は民衆に対して、「阿弥陀如来一仏を信じなさい」と説いてきているわけです。説いておきながら、自分本人は神道の神にお参りするなんて、それって「浮気」?それとも「裏切り」?・・・「なんとか言いなさいよ、あなた!」。・・・と、思わず「疑惑の夫に詰め寄る妻の心境」になってしまいました(笑)。でもそれは、「全くの誤解」なのです。親鸞は決して「浮気」も「寝返り」もしていません。
これについてcomoは、ある明確な「1つの見解」を持っています。が、込み入った話になりますので、それはまた追々どこかでお話したいと思います。是非、あなたもここを訪れ、その当時の親鸞の心境に想いを馳せてみてください。
ご祭神/大国主命・奴奈川姫命・建御名方命
社殿は中規模ですが、歴史を感じる落ち着いた雰囲気の神社です。ではcomoと一緒にお参りしましょう。
「これが御前に鎮まります大国主命様、奴奈川姫様、建御名方命様、日々のお守りありがとうございます。日本の玉体・国家・国民をお守り下さい。この越後の地と人々をお守りください。
まだ中越地震による後遺症が残っております。この地が早く元の姿になりますよう心より御祈願申し上げます。越後の地が古き良き日本の姿を残しているのは、国津神様の開拓の地であるからだとcomoは感じます。これからもどうかこの地をお守り下さい」
もう、気分はすっかり親鸞聖人です^^。そのまま居田神社を後にしましょう。
良寛の里
良寛さんとは?
さあ、いよいよ次は、冒頭でもお話しした「良寛和尚」の登場です。居田神社から、車で海岸沿いの道を数十キロ程北上します。良寛ゆかりの品々が多数展示されている、その名も「良寛の里」が見えてきました。
comoは良寛さんを大変に尊敬しています。「悟りをひらく」という言葉がありますが、それにあてはまる人物というのは、おそらく歴史上に数えるほどしかいないでしょう。まさに良寛さんこそ、その世界でも数少ない「悟りの人」だとcomoは思うのです。
では、そんな良寛さんとは一体どんな人物なのでしょうか。
例えばこんなエピソードが有名です。
子供が大好きな良寛さんは、いつものように子供たちと隠れん坊遊びをしていました。良寛さんは田んぼに積まれたわらの中に上手にかくれてみたものの、上手くかくれ過ぎたのか、結局子供達は良寛さんを見つけることが出来ないまま、日が暮れて家に帰ってしまいます。そして次の日、わらの中にいる良寛さんを見つけた村の百姓が、「あんれえ、良寛さ!!こんなとこでアンタなにすてるダ〜?」と、思わず尋ねると、良寛さんは慌ててこういうのです。
「シーッ!・・・そんなに大きな声を出したら、子供らに見つかってしまうじゃろうが!」
またある日、良寛さんが、お金を道においては拾い、おいては拾いを繰り返しています。不審に思った村人が「良寛サァ、さっきから一体なにをスてなさるダ〜?」と聞くと、良寛さんはこう答えるのでした。
「いやな。村の衆が言うには、”お金を拾った時ほど嬉しいものはない”というから、さっきからお金を道に”置いては拾って”してるんじゃ。でもどうしてかの、・・・ちっとも嬉しくないんじゃ」
また、良寛さんの「恋物語」も有名な話です。良寛さんは70歳の時、「貞心尼(ていしんに)」という女性の弟子にほのかな恋心を抱いていたそうです。晩年、良寛さんは肺炎を患って亡くなるのですが、その時も、愛する貞心尼に病気をうつしたくない一心から、良寛さんの看護をしようとする貞心尼を、自分の側へ一切近付けなかったというのです。貞心尼は30歳。なんとその年の差40歳(!)の「超・年の差恋愛」とはこのことですね。・・・まだまだ面白いエピソードはいくらでも出てきて、キリがありません。これが、良寛という人物なのです。
良寛さんの魅力とは?
さて、良寛さんがな〜んとなく面白い人物であることは分かっていただけたかと思います。ですが、comoが大絶賛し、尊敬して止まないほどというその気持ちまでは、おそらく、まだご理解いただけてはいないでしょう。
あえて言葉で表現するならば、それは「欲望を超越している」ということなのだと思います。
例えば、「厳しい修行を耐え抜く」というのは、確かに困難で大変なことかもしれませんが、それは決して「悟り」とイコールではないのです。むしろ、それを達成する度にその人の周りに渦を巻き始める「権力」やら「尊敬・賞賛」というものを、振り払うことが出来るかどうかに、全てかかっているのではないでしょうか。
厳しい修行をやり遂げることが出来ても、それに付随してくるこの「地位・名誉・見栄」など、つまり、そういったあらゆる「欲」を全て捨て切るというのは、人間にとって最大の難行といえるのです。
それが、この良寛という人物にはどこにも見当たりませんよね。これでも良寛さんは、厳しい修行を積んできた曹洞宗の高僧なのです。おそらく、若い頃には我々と同じような煩悩や執着というものを持ち、苦悩してそれを乗り越えてきたのではないでしょうか。
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」
良寛さんが最期に残したという一句です。これほどに「詠み手を選ぶ」句もなかなかないですよね。
実はcomo、この良寛の里へは、「行きたい行きたい」と思いながら、まだ一度も行ったことがありません。行ったことがあるという方は、是非感想など聞かせてください^^。
弥彦神社
石川県の新潟県の神様のデート
お次は弥彦山にある弥彦神社へ向かいましょう。ここも先の居田神社と並び「越後国一之宮」という社格の神社です。万葉集にもうたわれるほどの古社であり、また見る者全てを圧倒する高さ30メートルの大鳥居が参拝者を出迎えてくれます。神社そのものの外観は、長野県の善光寺と栃木県の日光東照宮をミックスしたような印象の、大変立派な神社です。
この神社のご祭神は天香具山命(あめのかぐやまのみこと)といいます。神武天皇の詔(みことのり)により越後を開拓した人物です。地元では伊夜彦神とも言われています。宮中と同じ鎮魂祭を行うなど、皇室にとても縁の深い神社でもあるようです。
また、この神社にも面白い言い伝えがあります。それは、石川県の能登にある伊夜比盗_社(いやひめじんじゃ)のご祭神・大屋津媛命(おおやつひめ)が、年に一度、この伊夜彦神を呼び寄せて「デート」をする、というものです。石川県も新潟県も、かつては「越国(こしのくに)」といって、大きく見れば「一つの国」だったということを考えると、この「繋がり」は何ら不思議なことではありませんよね。
この「神様のデート」は、実際の行事として現在までしっかり伝えられています。それが毎年7月の末日にある「オオスズミ祭り」です。あなたも是非、この時期に合わせて参拝に行かれてみてはいかがでしょうか。
ご祭神/天香具山命(あめのかぐやまのみこと)
こういった神話をいろいろ見ていくと、古代の日本には、県を大きく隔てた物語なんかが、当たり前の様に残されているのです。
もしかしたら、古代人は現代人が予想も出来ないような発想や技術を駆使して、全国的な交流をしていたのではないでしょうか?comoはそんな風に思わずにはいられません。
ではcomoと一緒にお参りしましょう。
「これが御前にお降りませる天香山命様、日々のお守りありがとうございます。日本の玉体・国家・国民をお守りください。この越後の地をお守りください。この地は日本列島の背骨に当たる国であると聞いております。背骨が曲がれば体全体がおかしくなります。どうかこの越後の国がシャンとしますようにお守り下さい」
comoオススメの宿
四季の宿「みのや」へGo!!
さあ、これで本日の参拝は終了です。すぐ目の前が「弥彦温泉」なので、今日はそこに泊まることにしましょう。
comoオススメのお宿は、弥彦神社の門前にあってなんと300年の歴史を持つ、『
四季の宿 みのや
』です。
『じゃらん』の評価も「ハイクラス」となっており、料理部門では、「全国旅館100選」に何度も入賞しています。どうぞごゆっくりおくつろぎくだい。
あっと、言い忘れてましたが、明日もまだ参拝が続きます。次の日もお参りがある場合、お酒はできるだけ控るべきなのですが、もし呑むとしても、0時を過ぎることはないように。comoもお酒は好きな方なので、いつも注意しています。
それでは、どうぞごゆっくり。
度津神社
「佐渡」へ行こう!
おはようございます、お目覚めはいかがでしょうか?
さっそく今回の旅最後の参拝の地へと向かいましょう。なんと海を渡って「佐渡」へ行きます。目的は、「佐渡国一之宮(さどのくにいちのみや)」の「度津神社(わたつじんじゃ)」です。寺泊港から佐渡汽船カーフェリーで赤泊港に渡りましょう。
「島根県の神参り」の時にもお話ししましたが、海を渡るときは天候と出航時間を必ず事前に確認しておきましょう。気候の安定している時期などは、カーフェリーの会社に直接訪ねれば、割となんでも教えてくれますよ。
では、イザ参りましょう。かの松尾芭蕉が、この越後の夜の海岸から佐渡を眺めて、
”荒波や 佐渡に横とう 天の川”
と詠みました。な
んとも豪快な句ですよねえ。comoの好きな俳句の一つです。
日本海の荒波を越えて一時間程で赤泊港に到着です。comoの場合はここでレンタカーを使います。30分も走れば、あっというまに佐渡国一之宮・度津神社に到着です。
ご祭神/五十猛命
この神社のご祭神は、「五十猛命(いそたけるのみこと)」といって、あの高天原一の暴れん坊「スサノオ」の息子として、日本書紀のみに登場する神様です。天界を追放された父・スサノオと共に地上へ降りてきたイソタケル。初めに降り立った朝鮮半島は気に入らず、次にやってきた日本を気に入って、様々な樹木の種を植えました。これによって、日本は豊かな緑に囲まれた国になったということです。確かにcomoは商売で韓国に行ったことがありますが、見渡す景色に岩山などがとても多く、緑が非常に少ないなあという印象を受けたのを思い出します。
イソタケルは、「林業の神様」として多くの信仰を集める神様です。
ではcomoと一緒にお参りしましょう。
「これが御前に降りませる五十猛命様、日々のお守りありがとうございます。日本の玉体・国家・国民をお守り下さい。
須佐之男命様とともにお降りになり、日本を木の国として世界に類例のない緑多い国造りをしていただき、また、日本人の繊細な価値観の基を形成していただきました。そのご功績、心よりお称えし感謝申し上げます。今後の地球規模の環境問題に対して回答できるのは世界で、日本しかありません。どうか今後も、日本の自然に対する考えを世界に広めていけるよう、何卒お導きください」
comoオススメの宿
ホテル吾妻
さて、これで今回の参拝予定は全て終了です。せっかくですので、島国・佐渡を十分に満喫していきましょう。
comoオススメの宿は、度津神社から車でしばらく海岸沿いを走ったところにある「相川温泉」の、『
ホテル吾妻
』です。旅の疲れをゆっくり癒していってください。今回も長旅、お疲れ様でした^^。


